フィリピン人〇〇事件があったタワーマンションはどこ?バラバラ事件(2008年)

 

お台場を電車でおとづれている度に・・

あのバラバラ事件が起こったマンションはどれだろう?

と気にかかっている人もいるのではないでしょうか??

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実は、筆者の私は仕事で一度ほどその事故マンションへ

出向いている記憶があります。

特にここ数年は家族間の殺傷事件とか多くなりましたね。

自宅へ伺う仕事をしてる私は、

いつもの移動の最中に、あのタワマンは事故物件かな?

なんか違和感あったな・・などと振り返ったりしてます。

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バラバラ事件については場所がお台場であったことくらいしか

インプットされていなかったので色々追ってみたいと思います。
 

お台場フィリピン人殺人事件

 

2008年(平成20年)4月3日にこの事件が発覚した。

Wikipediaではこの事件を

”お台場フィリピン人バラバラ殺人事件”と表記してありますね。

現場は「お台場1丁目」の高層タワーマンション

殺人・死体損壊、遺棄で逮捕された犯人の本名

野崎浩(当時44歳)である。

出典;Twitter

この事件の被害者は女性2名

実はこの事件は”第一の事件”と”第二の事件”が存在する。

A事件・B事件としますと、

A事件(1999年 ー平成11年 4月22日)

B事件(2008年ー平成20年 4月3日)

に起きていたのです。

 

お台場バラバラ第一の事件(1999年)

 

犯人である野崎浩は1999年に犯した罪をなかなか認めていなかった。

Nはかつて1999年(平成11年)4月22日ごろ、当時住んでいた神奈川県横浜市神奈川区栄町のマンションで[8]飲食店従業員・フィリピン人女性A(事件当時27歳・埼玉県草加市在住)の首にかけ布団のヘリを両手で強く押し当てて圧迫し、Aを窒息死させて殺害した[。そして同月下旬 – 5月上旬ごろ、マンションでAの遺体を解体し、横浜市内の数か所に捨てた。出典;Wikipedia

 

一見、野崎という男は普通の顔をしたどこにでもいるタイプに見えるが

(この世の中という場所には凶悪犯はどこにいるのか分からないほど

普通の人なので恐ろしいなと思う)

本当に恐ろしい罪を犯している男なのだ。

 

加害者Nは同年9月に横領容疑で草加警察署(埼玉県警察)に逮捕され、その後起訴されたが、行方不明になっていた被害者Aと交際していたことが判明したほか、Nが料金を支払わずに乗り続けていたレンタカーから細かく刻まれた人骨が発見されたために追及され「自宅に連れて行った際に死亡したので、遺体を解体して捨てた」と自供した。そのため埼玉県警捜査一課・草加署が被疑者Nの都内の実家を調べたところ、被害者Aの歯が発見されたため死体損壊・遺棄容疑で再逮捕した。埼玉県警は殺人との関連も追及したが、Aの遺体は発見されず、加害者Nも殺害を否認したことから女性Aの死亡経緯は解明されなかったため、埼玉県警は殺人容疑での立件を断念した 出典;Wikipedia

被害者Aさんの歯が発見されたのに殺害を否認した野崎。

だがそこから自供するに至った。

 

Nは2000年4月14日に浦和地方裁判所(現:さいたま地方裁判所)にて横領罪および死体損壊・遺棄罪で懲役3年6月の実刑判決を受け、2003年(平成15年)7月5日に刑期満了を迎えた。その後、警視庁はB事件でNを逮捕してから「Nの周囲でフィリピーナの女性2人が死亡し、遺体を解体・遺棄された」という共通項に着目し、A事件の取り調べで被疑者Nから「被害者Aの遺体を横浜の運河に捨てた」と自供を得ることに成功し、同年6月に自供に基づいて横浜港の運河を捜索したところ、運河の底から遺棄後10年程度が経過した人の腕の骨が発見されたほか、周囲からも多数の骨片が発見された。結局、人骨はDNA型鑑定の結果被害者Aとは別人と判明し、遺体発見には至らなかったが、警視庁は「(Nの)供述は一貫している」などの理由から殺人容疑で再逮捕した。出典;Wikipedia

 

お台場バラバラ第二の事件(2008年)

 

Nは2007年(平成19年)9月下旬ごろから上野のフィリピンパブで従業員の被害者Bと知り合い、Bを気に入って店に通い詰めたり、自分の車でBを送迎したりするようになった。同年10月ごろにはBから「母親との仲が良好でなく、前の交際相手との間に生まれた幼い息子や自分の友人と3人で暮らしている。仕事中は息子を友人の親戚宅に預けている」などと聞かされ、「Bは若いのに苦労を重ねている」と同情するとともに「容姿は自分好みでスタイルもよい」という理由からBと一緒にいることを楽しく感じるようになり「自分にできることは何でもしてBを喜ばせたい」と思い、Bの歓心を買うために息子用の子供服・玩具を買うなどした。同年11月上旬ごろ、Bは元交際相手から自活を強く促されるとともに責任も取って育児・仕事を両立するよう言われたため、息子と従妹2人で一緒に住む部屋を探すことになり、Nもこれを手伝った。その際、NはBから家賃の一部負担・敷金相当額の貸し付けを条件に同居することを提案され、所有していた車を処分して得た金をその資金に充てるなどして、同年12月下旬ごろには現場のマンション居室にBとその従妹2人の計4人(後にBの息子も加え計5人)で同居するようになった。NはBと同居を開始したが、やがて家賃を滞納するなどトラブルが絶えなくなった。出典;Wikipedia

 

この第二の事件で被害に遭われた(ここでのBさん)はとても美人でありお若い方でした。

このような事件を見ると、”どんな虫も生き物も殺してはならぬ”のような教えを

幼少期に受けた習い事があったのですが、今や自分とおんなじ人間の命を簡単に

殺めて、そして、損壊してしまう事件という情報に慣れてしまわないか・・

自分自身に危惧したい。

 

2008年4月3日午後8時ごろ「六本木のフィリピンパブに勤めていた従業員女性B(当時22歳)と連絡が取れなくなった」という同僚の連絡を受け、被害者の親族が部屋を訪ねると室内が血まみれになっており同居していた男性N(当時48歳)が消えていたため警察へ通報。

4月6日夜に埼玉県川口市の路上で手首を切って自殺を図っていたNを発見。Nが持っていたメモに書いてあったコインロッカーから被害者の遺体の一部が発見されたため、Nを死体損壊の容疑で逮捕した。

4月11日、さらにNの供述から現場近くの運河から被害者の頭部が発見された。

出典;Wikipedia

 

野崎浩は病死していた

 

野崎浩は東京拘置所で死刑囚として刑を受ける身分になっていたのだが

すでに持病によって亡くなられていた。

それにしてもフィリピンパブに通い自分の気に入ったホステスの面倒を

見たがるような野崎の職業も気になった。

ネットやメディアによれば元経営コンサルタントだそうです。

 

 

バラバラ事件の現場マンションは?

 

今や事故物件サイト(大島てる)などもあるので、

そして事件後にはTwitterなどですぐに出回る事件の現場ではあるのですが

この事件現場も有名である。

 

マンション所在地は控えますが

「シーリアお台場三番館4号等2610号室」

が現場となっています。

 

被害に遭われた女性へ改めて手を合わささせて頂きます.

 

 

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