落語家の三遊亭小圓朝さんが49歳の若さで
お亡くなりになりました。
お父さまも落語家として活躍されていたそうですね。
三遊亭小圓朝プロフィール
さんゆうてい こえんちょう
本名:高橋 秀帆
たかはし ひでほ
生年月日:1969年6月16日(49歳)
出身地:東京都豊島区池袋本町
血液型:?
学歴:都立代々木高等学校 中退
★三遊亭円之助さん(三代目)が父
親子2代で落語の世界で活躍されていました。
上は小圓朝さんが2006年に川崎大師にて寄席をされた
ときの写真。
その時の記事より抜粋
「私は小円朝ってんですが、人からよく
『そのうち円朝になるの?』って聞かれるんです。
でも、落語の世界で円朝ってのは特別でして。
そのかわり家内が保育師してるんで、
いつかエンチョウ(園長)になるんじゃないかって、ね」
「大師寄席」は30年もの歴史を誇る地元の手作り寄席での取材の言葉だそうです。
抜粋つづく・・
京急川崎大師前駅を降りて「ごりやく通り」をほぼ7分。
川中島神明神社まで来ると境内に「大師寄席」の赤いノボリが見えました。
会場は社務所の広間。
木戸銭2000円を払って上がると青い字のチラシを1枚くれました。
「第135回大師寄席」。
そこには前座から「金原亭駒春」
二つ目「林家彦丸」
そして真打「三遊亭小円朝」の名前がありました。
その日は柳家小三治師匠を迎えて盛大にやったそうです。
その記念誌の記録欄の第1回(1976年2月28日)
になんと小円朝さんの実父、三遊亭円之助(三代目)さん
出演の記録があることを実行委員が教えてくれました。
小円朝さんは大師寄せ初出演ですが因縁の高座だったのです。
〔出典;www.ukima.info/koentyo/siryou/daisiyose.htm 〕
経歴が面白い
東京で生まれた高橋さんは高校を中退されてから
運送会社で働いていたそうです。
高収入でしたが多忙すぎて退職。
その後はベビー用品のレンタル会社で働く。
子供が好きだったので働きたての頃はやる気満々だった。。
ところが経営が火の車の会社だったそうで、
いろいろ問題が出てきて退社。
その後の落語家への人生投入だったんです。
亡くなった病が「肺炎」
いろいろ調べても小圓朝さんの家族や他の情報が
それほど多くないので病についても
ほんとうの部分は分らないのですが
12月17日に配信された「読売新聞」で死去を伝えられた。
まとめ
お悔やみ申し上げます。
読んでくださりありがとうございます。