齋藤理玖(りく)君の父(齋藤幸裕)と母’齋藤愛美佳)の生い立ち!厚木市幼児事件あのアパートの現在

2014年の若葉が芽生えるような時期に信じたくない事件が発覚した。

この事件を記憶に残る方も多いことだろう‥今でも振り返ってみると私も涙が出てきて溢れる。

そうなんだ。本当に涙が出てくるんだ!この事件の被害者はとても可愛い顔をしている男の子

なんだから‥

 

 

5歳児「理玖君」厚木アパート事件

 

 

世の中には哀しく信じられない事件も多数あった。それでもこの2014年5月に発覚して理玖くんの事件は涙なしでは居られない。

齋藤理玖くんが発見された。

 

神奈川県厚木市のアパートの一室で、すでに死亡推定時(理玖くん5歳)から7年もの歳月が流れていた。

当たり前に大きく育てられていたら今頃は小学生だった.

すでに現在発見から7年前に亡くなっていた.

何が一体起こっていたの?という怒りが一瞬にして沸き上がった、そして事件の詳細やアパートの状況を知るにつれてショックと憤りでいっぱいになった。

 

齋藤理玖くんの父と母の顔は?

 

わたしは怖くなる。このような我が幼子を殺めるという事件が日本ではここ数年、いいえ・・ここ10年くらい多い気がする。そして大抵、犯人である親の顔は意外とどこにでも居る顔をしている‥

厚木市で起こった齋藤理玖くんの事件では、犯人は父親そして(罪は母親にもあると思う)だった。

 

すでにネット上では逮捕時にも現在でも理玖くんの父親の顔が出ているので躊躇なくあらわそうと思う。

逮捕された齋藤理玖くんの父親

その名前は齋藤幸裕(さいとうゆきひろ)37歳逮捕時のものだ。どことなく暗いけれどそれほど悪人の顔はしていない気もするのが妙だ。この齋藤幸裕の顔にはどこか哀しみも感じた。

齋藤理玖くんの母親も存在こそ気になるところだった。これがメディアやネットで存在する写真になる。

齋藤愛美佳(21歳時の顔)なのだが、この人のお顔もいがいと普通なものに感じた。

事件後の裁判で齋藤愛美佳が言い放った言葉

「息子を愛していた」この言葉には嘘はないかもしれないが 愛というものが何なのか

知らない女性だと思える。後に斎藤幸裕と齋藤愛美佳の生い立ちもみていきたい。

 

 

厚木市幼児事件の経緯と判決

 

 

2001年5月30日 理玖君が生まれる

2002年11月 厚木市の1歳6か月検診を受ける

2003年6月 市の児童手当手続きを更新しない★理玖君の母親愛美佳(33歳)の家出

2004年7月 市の3歳6か月検診を受けていない

2004年10月 ★厚木市が理玖君を迷子で保護する、そして県の児童相談所が預かる★母親(愛美佳)が理玖君を引き取る時、幸裕被告の自分に対するDVを告白、母親は引き取ったのち、一人で家出する

2006年の秋から冬 幸裕被告が理玖君に適切な食事を与えず放置したと思われている時期

2007年1月 理玖君 栄養失調で死亡(推定)★理玖君の死亡後、幸裕容疑者が別の女性と交際を始めて後に同棲する

2008年4月 理玖君、小学校の入学式に登校しない

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2014年5月24日 児童相談所が厚木署に行方不明者届

2014年5月30日 現場アパートで理玖君の白骨遺体を発見

2014年5月31日 神奈川県警が幸裕被告を保護責任者遺棄致死容疑で逮捕

2015年10月22日  齋藤幸裕容疑者に判決 懲役19年

 

 

齋藤幸裕の生い立ちと齋藤幸裕の母

 

ここからいろんな情報をたよりに齋藤幸裕の生い立ちをまとめてみる・・

いったいどんな親に育てられたのだろうか?

齋藤幸裕は1978年に生まれ、3人兄弟の長男として育った。

家庭環境は良いものではなかったらしい。

精神を病んだ母親が自殺未遂やボヤ騒ぎを頻繁に起こしていたのだ。

その内容とは普通の環境にはあり得ないもの。

・工事でつかう三角コーンを道に並べて火をつけて悪魔ばらいをする

・家で大量のろうそくにつけた火が体に燃え移って全身火傷して入院した4こともある

これは非現実的な出来事に思える、だが本当らしい。

高校を卒業した後に実家を離れて暮らすことを選んでいる。

その後は職を転々としていた。

20歳になるかならないかの時期に妻となる齋藤愛美佳(仮名)と知り合う。

 

齋藤幸裕だけが悪いわけではない!

 

齋藤幸裕には養育能力がなかった気がする。こんな事書いてしまったが、それが理由にはならない。

それでも生かされるべき命なのだから。

ただ齋藤幸裕の妻だった齋藤愛美佳は夫と息子を捨てて家出した。

妻がアパートから失踪したのは、理玖が3歳になった年のことだった。

夜、買い物に行くと言って出たきり、行方がわからなくなったのである。

そこにもいろいろ問題があって家出したのかもしれない、真実は分からんがそれでも

齋藤幸裕からすれば妻は自分と息子を見捨てた。

齋藤幸裕は息子を愛していたのか?どうなのか?

幸裕は理玖に言った。
「これからは2人生きていこうね」

幸裕は理玖を自分1人で育てていくことにしたそうなのだが

実際のその後の生活は最悪だったんだ。

妻の家出から数ヵ月のうちにライフラインが料金未払いですべて止まった。水道電気ガス!

理玖くんの食事は1日1回、パンかおにぎりとジュースの「食事セット」を置くだけだったし、

オムツの交換は数日に一度、外へ連れて行くのも月に一度だった。

 

 

齋藤愛美佳の生い立ち(実家は有名だった!)

 

彼女の本名などは分かっていない。すべてメディアでは仮名だから。

そう齋藤愛美佳は仮名である。そしておそらくだが事件当初は地元では身バレしていたと思うし大変だったかもしれない。

なぜならば齋藤愛美佳の実家は箱根の有名旅館を経営している名家だった。

ここからは私が得た情報をそのまま書くが、齋藤愛美佳も育ちの環境が劣悪だった。

・高校2年生のときに父が女性をつくって家出する

・母にも男の噂が絶えなかった

・娘(齋藤愛美佳)に対して厳しい教育しつけをしていた

耐えられなかった環境だったのだろう・・・愛美佳は非行に走りった。そして、

夜遊びをしていた時に斎藤幸裕と出会ったのだ。

幸裕と出会ってから安定はすぐにほころんでいった。。

↓(同棲から家出までの経緯)

名家でもある実家を飛び出して幸裕のアパートに移り同棲をはじめる。

すぐに妊娠し、出会った翌年に長男の理玖君を出産する(幸裕が21歳、愛美佳が18歳の時のことだった)

厚木市内に新しくアパートを借り、新生活をスタートさせた(あの悲しい事件が起こったアパート生活のはじまりだ)

愛美佳の実家からはそれなりに金銭の支援があったから生活は困らなかった。(なんだかんだ母娘とも共依存の関係がみえてくる←筆者の見解)

幸裕も契約社員を止めて運送会社のドライバーとして働きだしていた。

ここまでの生活は順調にすすんでいたかもしれない。

 

齋藤愛美佳の風向きが変わっていく。

1年経つか経たないかの頃には心が家庭から離れるようになる。

心が変わった理由

同年代の友達が青春を謳歌しているのがうらやましかったと書かれていた(ある週刊誌)

18歳での出産、まわりの友達は自由に遊んでいた。18歳での子育て、新ママとしての生活は決して簡単ではなかったと想像はできる。

明るく子育てに目を向けられなくなった彼女は外に出る選択をしていく。

家の片付けや料理をしなくなった。

可愛いはずの理玖ちゃんが夜泣きをしても放ったらかした。

拘置所での齋藤幸裕の言葉がこうだ。

「仕事から帰っても家は散らかり放題でした。それで注意したら言い返してくるのでケンカです。一方的に俺がやっていたわけじゃありません。俺が注意したら、あいつが物を投げてきたり、つかみかかってきたりするのでやり返す感じです。ほとんど毎日そんな感じでした」

愛美佳という女性は自由を得るため遊ぶために、本厚木駅にある風俗店で働きだす。

ここから人生がほんとうにかわっていく。

毎日昼過ぎに託児所に理玖ちゃんを預けていた。理玖くんが肌のぬくもりを感じる時間がなくなっていった。母であるぬくもりが遠ざかって行った。さみしかったであろう。

この齋藤愛美佳に新しい恋人ができた。

幸裕が携帯電話をのぞいたところ、知らない男性とラブホテルに行っていることが書かれており、そのことで何度も大ゲンカになったという。

理玖ちゃんが3歳になった年のことだった。夜にそれは起きた。

お母さんである齋藤愛美佳の逃亡、家出。

買い物に行くと言って出たきり、行方がわからなくなったのである。

 

厚木幼児事件のアパートの現在

 

理玖くん、いやまだ幼かった理久ちゃんにおいしいものをたべさせてあげたい。そんな思いがわき上がってきた。

どうしても他人事にはおもえない。この理久くん事件で多くの大人が涙している。

あのアパートを検索してしまった。見たくない、触れられない、でも存在するのかとか‥

あの可愛い理久ちゃんがそこに確かに居たのだということを受け止めなければという十字架を他人である筆者なのに感じた。

まだそこに存在している。

たしかに厚木のあの住所にはあのアパートはまだ存在している。

コンビニの弁当でなく手作りの温かいものを理久くんにささげたい。

 

 

 

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