大島康徳さんの闘病の事を知ったのが2017年の3月頃のことです。
当時、歌舞伎役者である市川海老蔵さんの奥さんである、小林麻央さんも
闘病をされていました。
小林麻央さんの言葉
当時、小林麻央さんも闘病されていたのが記憶にのこります。
筆者も小林麻央さんの温かさや愛のあるブログを毎日欠かさず
読んでいました・・
麻央さんは大島康徳さんへ
“ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます
年下のまだまだ人生若輩者の私に対して
こんなふうにブログで書いて下さる大島さん
奥様の御心に感動します。本当にありがとうございます”
とブログで感謝を綴っています。
というのは大島康徳さんが自身が更新するアメブロの中で
このような感謝の気持ちをblogを通して真央さんへ伝えたんです。
「大島自身もそして支えてくれている家族も、
こうして明るく前向きな気持ちでいられるのには
その言葉の存在が大きかったと、思っています。
それは癌になったのは誰のせいでもないよという言葉です。
小林麻央さんのブログの中にあった言葉です」
闘病中の小林麻央の前向きな言葉に共感を示しました
がん闘病の大島康徳氏「ステージ4=絶望ではない」 https://t.co/W9M9uJ5hnE #大島康徳 #小林麻央 #大腸がん— 日刊スポーツ (@nikkansports) 2017年4月19日
筆者はこのお二人のやり取りに気持ちがあたたかくなりました。
大島康徳プロフィール
おおしま やすのり
生年月日:1950年10月16日(68歳)
出身地:大分県中津市
身長:182㎝
職業:元プロ野球選手・監督・解説者
とても高身長でダンディですね。
DA PUMPの #ISSA さん、野球解説の #大島康徳 さん😊 このあと#ニュースウオッチ9 で、じっくりトークします。#桑子真帆 #有馬嘉男 #DAPUMP #USA #がん #nhk #nw9 pic.twitter.com/amyYyfIuZM
— ニュースウオッチ9 (@nhk_nw9) 2018年10月8日
大分県のご出身で今津中学校を卒業し、中津工業高校へ入学。
1968年のドラフト会議で中日ドラゴンズから3位で入団され、
プロとしての歩みがスタート。
同期では星野仙一さんもいたんですね。
そして活躍をつづけていき1987年、日本ハムへ移籍されている。
背番号がダルビッシュ有さん、大谷翔平さんが背負う11番だった。
【冷静と情熱の野球人 大島康徳の負くっか魂!!】
大島康徳コラム第83回「ついに引退。ジタバタせずに『分かった』」#大島康徳 #引退 #負くっか魂!!https://t.co/aZQ0MD8FBf— 週刊ベースボールONLINE (@BaseBallMOnline) 2018年11月8日
ブログでも毎日登場の奥さんの職業が判明
大島康徳さんの毎日更新されているblogには奥さんの姿も
あるのでとても仲が良いんだなと感じますね。
こちらが大島康徳さんのブログ→ズバリ!大島くん
★ブログには愛犬の祭ちゃんとお散歩に行く姿や
大島さんご夫婦の仲睦まじい2ショットがみられます。
★出会いは・・現役時代のチームメイトの郭源治さんの紹介で知りあったそうです。
奥さんの職業が気になりました。
10歳年下で元CA(客室乗務員)をされていたそうなんです。
お若いときはとてもお綺麗だったのではと想像できます。
きょう8日付東京版終(裏)面、火曜日掲載「あの人のモチベーション 夢中論」です。
今回はプロ野球解説者、 #大島康徳 氏が登場。がんで闘病の中、自身の人生観を語った初の著書「 #がんでも人生フルスイング 」を上梓しました。今は仕事である野球に生きがいを見つけています。 pic.twitter.com/5uNQQedrNa— スポニチ東京販売 (@sponichi_hanbai) 2018年5月8日
大島康徳さんの大好物やおやつ
ブログを拝見させていただくとお夕飯でのお鍋やカレーライスが
美味しく登場する。
家族で鍋物を頂いたりカレー作って食べる時間はホッコリしますね。
そこでさかのぼり食べ物を拝見してみたところ、
大島さんは甘いデザートがお好きなようです。
大好物がデニーズの”ミニチョコサンデー”
出典;Denny’s
よく召し上がっておられるおやつは甘い物が多いかな。
コージーコーナーのシュークリームや、ミルクレープなど
筆者も大島さんと好きな食べ物が似ているのでうれしい。
まるごと苺、あれも召し上がっていますね。
あれ美味しいのでよく食べますよ、アタシも。
病の発覚は奥様の「お願い」
いつも一緒に過ごされているので痩せ方にすぐに異変を
感じたのでしょうね。
大島康徳さんの病が血液検査により判明したのが2017年です。
奥さんが病院への受診をお願いされていました。
仕事を優先する大島さんに
「大きな病院での検査は受けなくてもいいから
かかりつけの先生のところで血液検査だけでも
してもらってください」
と背中を強く押していたそうです。
血液検査のあとに、お医者さんから”精密検査”を受けてといわれ
とうやく病にたどりついたそうです。
発覚がわかってよかったですね。
まとめ
大島康徳さんは大分県の出身でプロ野球としての活躍を経て
監督から解説者をされていました。
奥さんは元CAをしていました。
今も闘病をされておられます。
大島康徳さんのブログに元気づけられる人もたくさんいると思います。
ご家族総出で回復を応援しているそうです。
筆者もblogを拝見させていただきながら同じように願います。
読んでくださりありがとうございます。