宮崎勤事件を知っている人は多いとおもいます。
Wikipediaではこの事件を「連続幼女誘拐殺人事件」といわれているのです。
筆者は最近になりこういう凶悪事件での加害者家族は現在どうやって生きているのか?
という視点でも振り返っている。
実は今、振り返っていて体中に激震が走る感覚がある。
この連続幼女誘拐事件、その事件内容から様々な(犯人の生い立ち等)
知らなかった事などもあった。
その事件の内容があまりに残酷だったことのショック
かなしみを抱えて生きている被害者の家族
加害者は未来をあきらめている(仕事や結婚)
いちばんは自分の愛する子供をあのような形で奪われてどんな風に
生きてきたのか?と想像もできないことが他人である私の胸をしめつけている..
そして、きづいたことが凶悪犯の家庭には共通点がある事―
宮崎勤事件(1988年~平成元年)
正式名は埼玉連続幼女誘拐殺人事件になる‥
日本の凶悪事件でもトップに入るほどの残酷極まりなく前例もなく
今でも記憶に濃い事件だ。
出典:sankei.com
その内容はあまりにひどいものだった。
宮崎勤という男が1988年から平成元年にかけて4人の幼く尊い命をみずからの手で
奪っていった。
とても書くには耐えがたいのですが亡くなった1人の子は
遺体を自宅近くの広場で焼かれた、そして遺族に亡骸を送り付けられている。
そのとき、宮崎勤は犯行声明まで世の中に出した。
そのほかの3名の尊い命は宮崎勤により奪われた後で、山林へ捨てられたのだ‥
宮崎勤の生い立ち・家族
宮崎勤の生い立ちについて考えたこともなかった。
両親は宮崎勤を育てることが大変だった。
それは宮崎勤は4人目・末っ子であり大家族だったからだ。そして裕福な家であり地元では名士である
新聞会社を経営していた。
みなさんはこの宮崎勤事件で生い立ちや稼業などについて記憶していたのだろうか?
筆者はまったく知っていなかった、覚えているのが宮崎勤がとても怖い人だという事と多くの命を
奪った事と現場検証の時の映像だけだった。
凶悪犯の多くがわりと裕福層なことにきづいた、なぜだろう。。
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みやざきつとむ
生年月日:1962年8月21日
東京都西多摩群五日市町に生まれる
家族構成:祖父・祖母・父・母・2人の姉妹・2人の兄弟 9人
父の仕事:東京都西多摩群五日市町 自宅のある土地にて「新聞会社」経営
母も働いていた(おそらくは新聞会社経営を手伝っていたのではないか・・)
写真は掲載しないがとても広大な土地に屋敷がいくつも立っている、そして一番奥のほうに
宮崎勤の部屋(住処)はあった。
★2008年6月17日死刑執行される
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Wikipediaにはすべて網羅されている、これだけの凶悪事件になると家族の事や生い立ちはデジタルコピーされる、生涯にわたり。
宮崎勤は幼い時から両親ではなく祖父とお手伝いの男によって育てられたという。生まれてすぐに親の代わりの住み込みの男は知的障害をもっていた。
金銭的に余裕があったからこそ住み込みの男を雇って息子の面倒をみてもらっていた。
とても祖父が好きだったという。
宮崎勤の生まれつき「手の病」と”親のこと”
宮崎勤には生まれつきの障害があったことを知っていた人はどれくらいいるだろうか?
あまり聞いたことがないこの障害は生活するうえで困難な部分がありそうです・
両側先天性橈尺骨癒合症(とうしゃくこつゆごうしょう)
宮崎は思春期になりこの障害のせいでうまくいかないことに悩んでいたという話もある。
この身体障害とは、腕の橈骨と尺骨が癒合している為に、手首をまわして手のひらを上に向けられないという
障害がおこるそうだ。
この障害ですごい苦労もしたそうだ。
この手術はできるそうだ、ではなぜ宮崎勤の親は施さなかったのか?
金銭的には余裕はあったと考えられる。
両親はこう話していたそうだ。
「4歳の時に手術を考えたものの手術により身障者のレッテルを
はられるのは息子の将来のためにならないと判断した」
宮崎勤の立場になってみたら、おそらく手術をしてほしかったがあるとおもう。
のちにも書いていくが親の勝手なウソの思い込みである可能性がある。
これは無意識下では世間様にこのような障害を知らしめることが恥ずかしいものが
あったかもしれない(あくまでも憶測の部分もあります)
凶悪犯にみられる共通点
すべてに当てはまるわけではないけれど、このような凶悪的な犯行にいたっている犯人の家庭を
のぞいてみる。そうすると金銭的に恵まれていたりする、そして親の社会的地位がしっかりしている。
そんな気がする。いや、これはある一つの重要な共通点かもしれない。
そして地位が高い親の性質的な特徴として世間体を気にしている場合がある。
これから次に書いていきたいけれども,障害的な何かを抱えた息子をのびのびと育てるのではなく
閉鎖的にしてしまった家庭も多い気がする。
金銭的に余裕があるから息子が引きこもることを受け入れ無意識で外に出ないようにしている、
無意識で引きこもりに支援してしてしまっている,なぜ息子が立ち直れない、閉鎖的になったのか?
自分たちの教育に問題がなかったのか?と反省はせずに‥
そのくせ良い年になった息子に「しっかり仕事を探せ」など言う。
もちろん親にも事情があったかもしれないしすべての責任が親にあったと責めているわけではない。
けれども、あの事件も似ている。
富裕層な環境で起こった「凶悪犯」
元農水事務次官長男殺傷事件は2019年の6月1日に起きている。
これは息子が父により殺害されてしまった事件だ。
父は日ごろから44歳無職の息子から家庭内暴力を受けていた。
この事件の3日前に川崎市登戸殺傷事件がおきた、この時の犯人も息子と似ていて
引きこもっていた。
元農水事務次官を務めていた父は
「この事件が頭に浮かんで不安に思い長男を殺害した」と逮捕時に供述された‥
この亡くなった息子は人生に悲観をして涙していたこともあった。
そしてこの息子はTwitterなどで過去に母に対することを投稿していたのだが
母によりテストで成績が悪いと、自分の大切なプラモデルの玩具を壊されたり
処分されていた、高校まで母に怯えていた
とされていて、悲惨だなとかんじた。
(そして筆者の親も同じタイプだったので歪んでしまう理由もすこし理解した)
元農水事務次官事件で被害にあった44歳の息子には障害が診断されていた。
それはアスペルガー症候群だ。
この事件をふと思い出したので記載してみた。
宮崎勤事件の家族の顛末は?
埼玉連続幼女誘拐殺人事件について追っていく中でみえてきた闇。
事件後から現在までその闇はどこかで生きている。
宮崎勤の両親や2人の姉妹2人の兄弟はどんな人生をあるいていく事になったのか?
一部にあるが情報を仕入れることができた。
とても悲惨なことになっている。
事件後に「お前らも死ね」などという脅迫の手紙が送られるようになり、
一家は一年後に自宅を空けて引っ越した。
宮崎勤の父はその4年後に自宅を売却して、そしてそのお金を遺族に送金するように手配する。
そのあとに。身を投げた。亡くなった場所は京都青梅市の多摩川にかかる30メートルの高さのある
神代橋だそうだ。
母にかんしては詳しく分からないが、まず夫と離婚し宮崎の姓にピリオドを打った。今後の
自分と娘息子の人生を考えての選択をしている。
そして娘息子たちは、みな仕事をやめ、次女は自ら婚約破棄した。
父お弟までもが追い込まれた。5つの会社の役員をすべて辞職している。
現在も続いている加害者の家族の人生はどうなのかと気になり書いているが、
しょうじき言うと、いちばん気にかかるところが被害者の家族の人生です。
哀しみを受け入れ生きている遺族のかたが居るんだと加害者家族はそのぶんも苦しかろうが
やはり背負って生きていく事になる
いろいろと書いてきましたが、幼い命に対してそして家族へ
ほんとうに、ほんとうに、心からご冥福をお祈りいたします
合掌