ここ連日のとても気がかりな不倫報道。
芸能界の中では不倫釈明会見、謝罪会見は数多く見受けられて
今回もそのうちのひとつ。
小室哲哉 記者会見ー直撃LIVEグッディ!
え?今回の事と引退とどう関係があるのか?
僕なりのこの騒動のけじめとして
引退を決意しました
先程のグッディでの会見の中でこのようにお話した小室さん。
大きな衝撃!?
その数秒後の違和感をかんじる人もいたかもしれませんね。
不倫釈明会見ではなかったのか?
KEIKOの母親が見たらこのKY(空気読めてない)
に言葉をなくしているに違いない‥
順番がおかしいという意味で。
まずは謝罪をと思う人もいたり、引退報告でショックが隠せない
人も多かったり、はじまりから複雑な気持ちの会見だ。
『直撃LIVE グッディ!』で生放送
小室さんの姿も力なくとても心配です。
出典:https://www.hochi.co.jp/
小室さんは記者会見の冒頭に記者たちに挨拶の後
「言動が 支離滅裂になってしまったら
申し訳ないので 昨晩 自分で文書を
作ってきたので少しずつ目を通しながら
話させていただきます。
体調がよくないようです・・
引退と謝罪の会見(冒頭部分の小室氏の言葉)
これから報道によるKEIKOであったり
KEIKOファンであったり家族であったり
お相手の方にお詫びのお話をすると同時にですね‥
僕なりのこの騒動のけじめとして引退を決意しました。
ここからお話をさせていただくので
聞いていただくことになると
思いますがよろしくお願いします」
それから2010年の執行猶予付きの判決の件と
KEIKOが病で倒れた経緯を話しはじめた。
話は不倫釈明をバッサリすればいいものの、
KEIKO闘病ゆえに自分も辛かったんだという
KEIKOとの因果関係と
自分の心の寂しさを結び付けた会見になった。
音楽を試みさせようとDVD見せたりしたが
関心を持ってくれなかったKEIKO。
一度KEIKOのために歌を作ったがだめだった。
それから5年間ほぼ歌わなくなったという。
会見での妻KEOKOへの侮辱!?
「これも恥ずかしい話ですが今は
小学校4年生ぐらいの漢字のドリルが
楽しいみたいで
それを楽しんでやってくれている」
電話であったり対峙して話すことも
だんだん間が持たなくなり
非常に可哀そうだなと思いながらも
そこをあきらめないでサポートしたいと思ったが
自分が疲れ始めてしまっていたという。
三年前から疲れ始めたと話す。
それからC型肝炎になってしまったこと。
それにより2人が闘病人になってしまったことを話す。
その後の言葉にも‥かなり疑問を感じた人がいるのですが。
「当たり前ですがKEIKOが普通の家庭の奥さん
であるというわけではないので、そうですね‥
闘病に関して看病であったりとか
お見舞いであったりとか言葉をかけてもらうとか
そういうことはなかなか難しくて‥
小室さんは一人で自分の闘病生活をしていた
(進行形)であると話す。
音楽の仕事もほんとうは厳しかったが
どうしても期待にこたえたいという気持ちが
どうしても芽生えて続けてしまっていた、と話す。
また差別的言葉・・・
「その間にKEIKOが何をおもっていたか
というのは一般の(脳の)考えではなかったと思いますので・・」
A子さんとの関係と男の本音
昨年からの副作用のこと、
骨折のこともあり、いろんな事があり
去年2017年6月あたりに実家にお世話になった。
そして突発異性の難聴にもなり
ストレスからの更なる
「摂食障害・耳鳴り・睡眠障害などの診断書を」
をもらった。
8月に一人で入院した。
A子さんとはこのころから
お世話になり関わる頻度が増えていったという。
退院後の不規則な生活、
通院のみでは不可能な時期もあり
便利な医療システムを利用するということで
ドクターたちに診察に来てもらっていた。
今回のA子さんにはいろんなところまで来てもらった。
複数で来てもらうことがほとんどだが、
どうしてもA子のみに来てもらったこともあった。
KEIKOは覚えていないが
KEIKOが在宅してるときにも
A子さんに往診に来てもらったこともあった。
自分の甘さかもしれないが
KEIKOがなんとなく容認してくれていると
思っていた部分もあったかと話す。
会話とかそういったものを女性とすることが
ほとんどなかった数年間だったので、
いろいろお話してしまった、
雑談してしまった。
いろんなスタッフが居てくれることも
勿論あったが密室でのA子さんの診察もあった。
「これはこころからほんとうにそうなのですが・・・」
男女の関係というのは全くないという。
男としての機能として女性を呼び込んだことを否定した。
だいぶ体がしんどい様子。
メンタル面での不調もあるだろう。
そんな小室さんを見ていて 辛い会見だった。
音楽制作に関しては
2017年の秋ぐらいからは自問自答の日々で苦しかった。
悩んだ。やりなおしの日々。
去年から60歳が節目だと考え始めたこと。
大きな節目、才能の‥限界がきているのだとも悟った。
辞めることを思う日々。不安で悩んだという。
KEIKOは心の吐露を理解はしてくれない。
そんな中A子さんの往診の中でこころの拠り所のすべてだった。
ようはこんな感じで話していた小室哲哉。
今日の日がくることを感じていた、
事態が起きるという予感がしたし、いけないと感じていた。
自分の甘さのゆえの「引退」
文春からの今回の取材を受けた時に
有罪判決を受けたときの気持ちになった。
それで引退という流れでピリオドに至った。
引退も自分ののぞむ形のものではないのは自分の甘さの代償。
いろんな面でもはやこれが限界だった。
「ほかに音楽の新しさみたいなものを
作れるものがあるのかなという自問自答を
ずっと続けてきましたが報道をされたというか
していただいたという言い方かもしれませんが
僕が音楽の道を退くことが私の罪であると思いました。」
そして喉をつまらせうつむきながら声を絞り出す。
「望まれれば期待に応えるべく
最低限のことを全うしていきたいと思っていますが、
自発的な音楽活動は本日をもって退こうとおもっています」
お水を飲み、こらえるような小室さん。
KEIKOとの関係は熟慮して考えて行こうと思うと話し、
そして最後に35年間の感謝を涙で伝えた。
涙をぬぐう小室哲哉さん。
まとめ
いろいろ思うところのある記者会見だった。
小室さんの介護疲れが
思わず出させた言葉なら
あやまりたい。
小室さんの音楽で筆者の高校生活、
大学生活が充実された。
よい恋愛もたくさんできた。
小室さんには御礼を言いたいですね。
小室さん、ありがとうございました。
まだまだ音楽は聴くからね。
読んでくださりありがとうございます。
追記で書きますね。
今 この記事を読み返して
小室さんはKeikoさんを
決して侮辱して話したわけでは
なかったと訂正したいです。
辛さは当人にしかわかりえない。
会見とか報道という表での事実
ではないほんとうの苦悩とか
喜びとか現実があるのだと
陰ながらですが小室さんの
音楽をききながら声援おくります。
読んでくださりありがとうございます。