渋谷歯科事件 武藤勇貴の出所がカウントダウン

 

2006年の12月30日に起きた兄妹事件を思い出した。

今の時代、親、夫婦、兄妹(兄弟)間での事件は

悲しいことに増加している‥

 

なぜこの事件を急に思い出したのか?

 

 

 

年を重ね歯科治療も増えたことでふと評判の良い歯科を

検索していたところ、大昔に起きた不幸な事件にぶつかる。

1982年竹中歯科めじろ台医院での「フッ素塗布女児死亡事件」

 

この事件で幼くして他界してしまった娘さん、親御さんの

気持ちを考えたらいたたまれなくなった‥

それと同時に恐ろしくもなった。

そして歯科に関する事件や事故を調べようとした

(自分の身を守るためにおこなった口コミ検索から一転‥)

そこで思い出した渋谷歯科事件(2006年)だった。

 

 

武藤勇貴の生い立ちや精神疾患

 

武藤勇貴がもうすぐ出所する。

それが2021年頃になるのではないか?と噂されるが

事件について知る程に怖くなる。。

武藤勇貴は歯科医師の両親と大学在学の兄、女優を目指す妹

と暮らしていた。

歯科医院経営者の家に生まれ育った武藤勇貴は

歯学部を目指して浪人をしていた。すでに兄は日大歯学部

在籍しており勇貴は3浪目であったので相当なストレスを

通り過ぎ勉強していたと想像された。

この事件で武藤勇貴によって亡くなられた妹(武藤亜澄)は

歯科の道をたどらずに好きなように生きていた。

遊んで生きていたのでもない。女優を目指して厳しいオーディション

受けながらアルバイトをしていた。

事件後の両親の手記をみると、亜澄さんと親子関係が不穏だった

殺人犯となった次男である勇貴は運がわるかった、とかばっている。

歪んだ家庭がわかる。

なお、武藤勇貴は逮捕後、自分のことをもともと精神疾患がある

自分はアスペルガーだということを残しているが

精神鑑定などをしても責任能力はあったはずだといわれている。

 

 

武藤の判明した「解離性障害」とは?

 

実は武藤勇貴の罪の重さは判定に泳いだ部分もあった。

一審判決のとき、死体損壊罪というものが問われず求刑が17年

と出ているものを7年としている。

そこに武藤勇貴の事件当初の解離性障害だったことが関係している。

しかしながら二審で彼の中での善悪の判断はできていたが

たんに感情のコントロールができずに及んだ犯行だといわれる。

刑の長さは12年と出た。

 

2009年から数えて12年だとすれば2021年に出所になる。

 

 

武藤歯科医院は営業している?

 

事件発生後から数か月してから営業されている

そのようなコメントを発見しました。

そしてネットで検索してみたけれど、普通に営業している

歯科医自体も存在している、と思われます。

 

 

この事件はいろんな要素が重なり不運だったから起きた

と片づけられない事件だと思うけれど、

事件後、両親は受け入れられず現実感のない苦しい歳月を

送っていることは事実だ。

自分のお腹を痛めて生んだ娘を殺めたのが自分の息子、

世間で注目され歯科医としての名誉を危ぶまれたが

おそらくは長男さんがしっかり後継ぎをどこかで

されている気がする。

そして、出所する武藤勇貴にとっても再起する社会の場が必要不可欠。

 

 

 

 

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です