渡辺泰子(東電OL)2つの顔を生きる孤独・事件の闇の噂

 

東電OL殺人事件が起こったのは今から25年前になるのだという。

皆さんはこの事件の被害者女性の”2つの顔”をどう感じるだろうか?

2つの顔というのは、昼はOLとしての顔であり

夜は性を売る顔なのだが、被害女性にとってこの生き方は

バランスを取るために必要なものだったのかもしれない。

筆者は渡辺泰子という女性のことが知りたくなる。

2つの顔を・・・

あわせ持った彼女のことが妙に気になっている。

もしかしたら2つの顔でない彼女ならば気にならなかった可能性もある。

これは私の身勝手な個人的なものであるが本当にそうかもしれない。

1997年に起こったこの事件の被害者,渡辺泰子さん(享年39歳)の

事を追ってみたくなり…更新をします。

 

東電OL殺人事件(1997)

 

1997年3月9日に発覚したこの事件ではまだ犯人が逮捕されておらず、

そして被害女性や遺族の人権に関わるような報道があったまま風化

されているような気もしているのである。

話はズレるがこれを書いている現在、窓からの隙間から寒波の

冷たい空気がすぅっと入ってきている。

東電渋谷事件を書きながらあのアパートが思い出され

(渋谷区丸山町の古いアパート一階で起きている.)

3月の薄暗いアパートで遺体となった被害者女性、渡辺泰子さんは

とても寒くはなかったのだろうか・・と.

 

*Twitterより拝借(事件の現場となるアパート)

私はこの現場には仕事で通り過ぎることがありました。

居酒屋の入るこの木造アパートは全く普通の良き古きという

印象であり、事件が起きた現場と知っても怖い雰囲気ではなかった

のです。

 

事件の簡単な概要

 

1997年(平成9年)3月19日の午後5時過ぎの事であった。

東京都渋谷区丸山町の(当時、空室である)アパート1階で

東京電力東京本店に勤務している 渡辺泰子さん(当時39歳)の遺体が

発見された。

通報されたのはこのアパートのオーナーが経営するネパール料理店の

店長であった・・

渡辺泰子さんの死因は絞殺であり、死亡推定日時は3月8日の深夜から

翌日9日未明にかけてと明らかになる。

 

その後,犯人として逮捕されたのがネパール人である

ゴビンダ・プラサド・マイナリー(当時30歳)である。

 

ところがこれが冤罪だったことが明らかになりゴビンダさんが故郷へ

無事戻ることができるまで長い長い歳月がかかった。

ゴビンダさんの逮捕はとても強引で浅い捜査であった事が

後にわかる。

妻子をネパールへ置いて青春時代を奪われた事実があると思うと

冤罪だけは起こってはいけないものなのだ。

 

未だ未解決事件になってしまっているが妙な噂もある。

そのことについて少しだけ書くがこれ真実かどうか分からないし、

あくまで妙な噂(少し引っ掛かっているが)

 

渡辺泰子さん殺害(妙な噂とは?)

 

ここで書くことはもしかしたらタブー的な内容になる。(やばい)

あくまで一部で噂されている話。

そう、妙な噂とはこの事件の犯人に関してのこと。

■巣鴨ヤクザの関与?

なぜそのような噂が出たのかというと渡辺泰子さんの定期券が

巣鴨の民家の庭先で発見されている。

巣鴨には某ヤクザの事務所が存在する。

もしかしたら巣鴨のヤクザによって殺められてから

渋谷区丸山町のあの現場へ運ばれたこともあり得るのではないか?

■泰子さんの在職時の上司の関与?

K氏については一部ではネット上では書かれている。

最初、この事件を知った時まさか結び付かなかったし

思いも及ばない話だったのだけれど

泰子さんの父に遡って見ると、妙な合点に気づいてしまった。

■泰子さんの父

渡辺泰子さんも優秀であったがそれは父親から受け継いだ

ものだった。泰子さんの父親は東大卒であり、東電に勤務して

いたのだ。工務部の副部長として活躍されていた。

将来の役員候補だったらしい。

しかしながら、「原発の危険性を指摘した」事によって

降格させられていた。

■泰子さんのレポートも・・

泰子さんは父の遺志を継いだのだった。

東電にて高い評価を受けていた。

その傍らで「原発の危険性を指摘するレポート」

を書いている。

K氏によって圧力をかけられたのではないか?

この事件後に泰子さんと同じ企画部の人間が出世している。

あくまでこれは噂ということで知った情報。

 

 

渡辺泰子の数奇な生涯

 

黒い噂を先に書いてしまったが, 渡辺泰子さんはまだ39歳という

若さで旅立たれてしまった、しかも犯罪によって。

 

1997年3月9日冷たくなった姿で発見された泰子さんの身において

前日から何が起こっていたのだろうか?

1980年に慶應大学を卒業してからその軌跡はまさに

エリートそのもの。

31歳ではシンクタンクの日本リサーチ総合研究所へ出向し、

35歳ではその年収も1000万円超えていたという。

 

その女性がある時期から退勤後に渋谷109のトイレにおいて

アイシャドウを塗り夜の女性の仮面をつけていた。

化粧は地味なものだったそうだが、立ちんぼをして男に性を

売っていた。

確かに渡辺泰子さんの美貌は夜のお仕事(水商売)などで通用する。

事件が起こった頃にさしかかる、

最初の頃こそ3万円だったのだが3千円で自分を売っていたそうなのだ。

しかしながら、彼女の人生の選択も理解できないこともなく

心の大きな虚しさのようなものが感じられる。

事件に巻き込まれてしまってから奇行があっただとか

色々言われている部分があるが、渡辺泰子という人物がとくべつに

変わっているだとか病んでいたとか、そういう事には興味はなく

生きるための必要な選択だった気もする。

そして精一杯生きていたのだとも思う。

 

合掌。

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