病の再発?鬱病も心配される「夜回り先生」水谷修先生, 1997年から病だった

「夜回り先生」こと水谷修先生が今月21日に自身のブログで、

ホームページ閉鎖を明かされています。

その文面がこれまでと違うもので内容も気になっています。

 

 

心配なブログ内容

 

突如の更新が水谷修先生らしくない文面と中身なので

心配の声があがっています。

「さようなら」という記事と、

「さようなら哀しい」という記事の2つ。

その前の更新内容はいつもと変わらない精力的な活動

そのものを記されていた。

心が折れたのではないか?鬱病ではないか?という

声がささやかれている。

あした、笑顔になぁれ

 

 

水谷修プロフィール

 

 

生年月日:1956年5月8日

出身地:神奈川県横浜市

幼少期:山形県南陽市

職業:日本の教育者・元高等学校教諭

児童福祉運動家、ならびに教育評論家。

水谷青少年問題研究所所長、

花園大学社会福祉学部臨床心理学科客員教授に従事する。

 

 

胸腺リンパ腫発症

 

筆者自身もイジメと闘っていた時期なので水谷先生の

言葉はとても胸に残っているし某番組内でのドキュメントで

胸を押さえながらも夜回りをしている先生の姿をみてから

今日までとても印象にある。

 

 

水谷修先生は1997年に病を発症される。

その病とは胸腺リンパ腫。

なんと驚いたことに夜回りの活動を続けていくために

放射線や抗がん剤治療をしない選択をされていた事。

自分の命と引きかえに、青少年を救う活動を行っていた。

2013 年から2014年までの間にも4度ほどの手術をされ、

2017年の先生の著書

『どこまでも生きぬいて夜回り先生50のヒント』の中で、

身体が病気によって思うようにならないことを

告白されています。

”この仕事から身を引くと気が近づいてきています

また数度にわたる手術の中で、

この世界から去る月が遠くないことももうわかりました”

 

 

ネットでの心配の声

 

しかし、夜回り先生に何があったのだろう。

 

個人での支援はあらゆる面で難易度が高いし私も潰れる、

と思ったので一旦は資格を取って機関で仕事として

行う道を選んだけど、夜回り先生のブログを見ると

その道はやっぱり大正解だったなと思う

一個人の強靭さに頼る支援はわかりやすいし見栄えも良いけど

持続可能性が、低すぎる…

 

夜回り先生のブログを読んでいくと、

先生がこうなるのも納得というか…。

一方的にぶつけられる「死にたい」「苦しい」

「辛い」という声。

先生はゴミ箱じゃないよ…。

 

夜回り先生は、引退してゆっくり休んでほしい。

でもあの人のことだから、本当限界までやり続けていたと

思うと本当に全てが「さようなら」なのかもしれない。

限界までやり続けた人の引き際が美しく見えるわけがない。

限界なんだから。

こんな形で活動に終止符を打つ予感はしてた。

 

できれば本人にとって幸せに終わってほしい。

夜回り先生の本を読んでよかったし、

講演も聞けてよかった。

ある部分は夜回り先生に出会って、救われたと思う。

 

幸せに安らかにこれからを生きてほしい。

でもそうはならないかもしれない。

 

夜回り先生に救われた一人です、

ゆっくり休まれて下さい

 

夜回り先生お世話になったから元気になってほしい

ごめんなさい

当時はどうしてもダメだったぼくの話を聞いてくれて

味方がひとりでもいる強さを知りました

 

 

夜回り先生になった動機

 

筆者は学生時代に悪質なイジメに遭ってきたが

先生は見て見ぬふりをするものばかりだった‥

水谷修先生のことを知った時、

どうしてこんなに身を削りながら苦しい経験をし、

そして苦しむ私たちを助けているのだろうと思った。

水谷修先生自身も非行の経験があった。

幼いときに母親から離れて祖父母と暮らしていた。

その時に学校でイジメにあった。

生活も貧しくて苦しかった、こころは寂しかった。

母親と一緒に同居できる年になったときに非行に走る、

そして更生する。

海外での長い放浪生活をする。

夜間高校の先生になる、そして夜回り先生になる。

 

水谷修さんがHPを閉鎖されると更新しましたが

そういう結果になっても、

先生から救われた人もいます。

今は先生がすべてを休んで自分を癒してほしい、

そう思います。

 

読んでくださりありがとうございます。

 

 

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