こんな大胆な殺人逃亡事件があるのだろうかと思っていた。
ちょうど高校3年の頃にあるテレビのVT Rを見て
”福田和子”という女性を知った。
寒い冬だった記憶があり、キッチンでコーヒーを雑につくり
当時、凶悪犯罪レベルとして放送されていたそれを見ていた。
当時は時効が迫っているという事で特番などで映像をみることが重なり、
福田和子が元交際相手と思われる男性と電話で残した会話が
インパクトのある内容だった。
「あぶない・・あぶない」
この会話を逆探知されることを危ないと感じてすぐに電話を切った
ようなのだが、逃亡犯とは思えない調子のトーンだった。
松山ホステス殺人事件(福田和子逃亡事件)
は1982年8月19日に発覚した殺人事件
ですが皆さんの中にも印象に起こっている方も多い事件だと思います。
出典;http://livedoor.blogimg.jp
これはとても知られている、犯人福田和子の長期にわたった殺人逃亡事件です。
整形逃亡14年344日の真実#福田和子#ワールド極限ミステリー pic.twitter.com/2YSkc0rfvK
— もも物語 早春🍑⛄️(ももきゅん)🍑🐶獅子座戌年O型 (@momokyunkyun082) October 27, 2021
上のものはTwitterで拝借させて頂きましたが、この映像を私はあるドキュメント番組
のようなもので見たのです。とても衝撃的で福田和子の逃亡生活の大胆さに
こんな犯人なんて存在するものなのだな。。ずぶとい神経だな、と不思議な感覚にさえ
感じました。このような長年の逃亡犯の存在は初めて知りました。
福田和子が最終的に逮捕された”おでん屋”がどこにあるのか?
追跡できる範囲で見ていきたいと思います。
松山ホステス殺人事件の現場
この事件が発覚したのが昭和57年(1982年)のことであった。
事件が起きた場所は
愛媛県松山市勝山町1−9−1
大西太ビル703
出典;Twitter
福田和子が殺害した女性は元同僚だった。
当初働いていたお店の同僚ホステスだった女性
安岡厚子さん(31歳)*お写真を拝借できないのでないが割と綺麗な感じ
の女性である
福田和子は安岡さんへお金を借りたいと話を持ち掛けたのだが
断られた。それが殺害の動機だったそうなのだ。
だが安岡厚子さんはホステスではナンバーワンだったことが言われて
おり、負けず嫌いな福田和子にとって目障りで、嫉妬心も動機ではないか
などとも言われている。
この事件の幕引きは福田和子の時効が成立する21日前の、
1997年7月29日のおでん屋店主の通報からの福田和子逮捕。
福田和子の息子(現在は?)
福田和子には事件当初に同居する夫と4人の子供がいた。
TBS。うわー、福田和子って夫と子供がいたのかー。何重にも罪深い人だなー。
— 熊谷杯人☆巻きシッポ帝国💉💉 (@kumagaihaito) February 1, 2011
ここでは、とくに福田和子が逃亡中も過ごしていたとされる
息子さんについての情報をみていきます。
どのような思いで母親の逃亡生活をみつめていたのか?
福田和子が石川県和菓子屋へ移ったころのわずかな期間、
この息子と過ごしたそうなのだが、どのような生活だったのか・・
簡単に想像できるものではないのですが胸にせまるものがあります。
今夜9時は『直撃!シンソウ坂上』👀
1982年の“松山ホステス殺人事件”で世間を騒がせた福田和子。名前も顔も変え15年間逃げ続けるも、時効直前に逮捕。その逃亡劇をドラマ化📺
さらに福田の長男👤にも取材。逃亡中に息子と過ごした時間に見せた母の顔、そして知られざる素顔に迫ります🔎#カンテレ pic.twitter.com/ar4AyVpNb8— カンテレ (@kantele) August 2, 2018
シンソウ坂上を見ながら涙をこらえた。
この事件は単なる逃亡殺人事件ではなく、親子の絆も(どのような現実であっても)
存在している
「母を恨む気持ちは欠片もありません。
あるのは感謝の思いと、自分の子供にも同じように
愛情を注いでいきたい、
そんな望みだけ」
とても愛情深く育て上げられたのではなかろうか?
息子さんは母親へ感謝の思いしかなかったとおもえる。
その息子さんに家族がいて、お子さんもいるという情報が
2010年ころに放送された番組「世界仰天ニュース」だった
記憶がある。
福田和子氏の長男さんは「小さな鉄工所の社長」さんになられた
このようなことを放送されていた。立派な息子さんだ。
福田和子の逃亡生活(14年344日)
事件を起こした土地から離れた福田和子がどのルートで
最初の逃亡を果たしたのか・・
タクシーと電車とフェリーでまずは大阪へ逃走したそうだ。
無計画のまま、たまたま石川県行きの列車が来たので
石川県金沢市へ行きついたそうだ。
そこであらたなパートナーや仕事を持つものの
警察の気配が押し迫りふたたび逃げる。
「同じ土地には3か月以上いない」とし、
その後は名古屋へ移る。
1988年から1996年の頃は北は北海道で南は山口県と
全国を転々としていた。
福田和子を通報した「おでん屋」場所は?
皆さんの中にも映像ではあるものの、福田和子の逃亡歴のピリオドと
なった暖簾の店は記憶にある人もいると思う。
そのお店は福田和子氏の最後の逃亡先である福井県に存在した。
もう時効も半年後であり安心していたのか、福田和子はその「おでん屋」
の常連になっていた。
場所についていろいろと手繰り寄せたが、
候補名としておでん屋さん「園」というネームが浮上した。
ですが現在は存在していないという事が分かってきました。
Wikipediaを見たところの情報を逸脱すると、
捜査網を巧みにくぐり抜け逃亡を続けるが、福井市に潜伏していた1997年、市内のおでん屋の店主から提供されたビール瓶とマラカスから採取された指紋が決め手となり、福田は逮捕された。当時、時効を目前に控えたこの事件は盛んにテレビのワイドショーなどで取り上げられ始めており、福田の肉声も繰り返し放送されていた。福田はこの時、逮捕に繋がる情報を提供した店の常連客であり、店主や他の常連客はテレビでよく耳にする福田和子と声がそっくりな彼女を怪しむようになったのだという。逮捕の現場となったそのおでん屋は、その後も移転して細々営業していたが、2019年3月31日をもって閉店した。
出典;Wikipedia
とされています。
今回は高校時代から知っていた事件に関して振り返りながら
追ってみたのですが、
犯罪においての罪という重さは忘れてはいけないのだと
やはりそういう答えにたどり着きました。
福田和子氏は2005年3月10日に脳梗塞により、息子さんとの
14年ぶりの再会と当時に永眠されました
この事件では被害者女性に関しての関心が福田和子氏にくらべて
薄いものとなっている気がするが、
被害にあわれた女性は31歳という若さで命を奪われており、その家族や
友人も悲しまれたと想像できます。
平成のインパクトのある事件を追ってみました。
合掌