ピアノ騒音事件(1974年)を振り返る「 平塚市横内団地」

わたしが生まれ育った場所で昔起きた事件について追っていきたい‥奈川県平塚市山下で小学校2年の夏まで家族と生活していた。物心ついたときには山下団地に住んでいた。写真を拝借するが20数年経つ今も変わらず存在すると考えると不思議な気分になる。

出典:https://www.homemate

山下団地周辺には友達が住んでいるので私は下校後で毎日のようにランドセルを置いた後で駆けずり回る。トンボやバッタ春には菜の花の黄色が広がっていた。しかし当時イジメに遭っていたので反射的に菜の花の季節になると記憶がよみがえる。

出典:mapion.co.jp

 

辺り一帯は本当に緑が多かった記憶がある。友達の家が田んぼを超えたあたりにあったので、暗くなるまで遊んだ、帰宅が17時のチャイムを過ぎても気づかなかったときもあり母親が探しに来てくれたことが懐かしい。こんな自然が多い地域に意外と多いのが犯罪だ。そう、あの事件もそう遠くない近所で起こっていた。

 

ピアノ騒音〇人事件(現場の今)

この事件が起こったのはだいぶ前(わたしが生まれるよりは前だった)で1974年(昭和49年)の8月28日の朝だった。現場となるのが神奈川県平塚市田村(現在の平塚市横内)の県営住宅「県営横内団地34棟4階(406号室)だった‥

さて事件概要について知りたいが現場となったこの団地の現在を調べてみた。

スマホで検索をかけたら現在もそこにあった、もしかしたら取り壊しているのかもと思ったがありました。(スマホでスクショ写真をそのまま添付したいのだが圧縮しないと開けず断念)ネット上に画像を探す。

これは事件発生時の横内団地34棟

ではこの建物は現在もあるのだろうか・・?

ありましたね!Google2021でじっくり探しましたが普通に佇む建物がありました。ここにはスマホスクショ写真が掲載できなかった(容量の関係で)のでTwitterで。

さてピアノ騒音事件の細かな概要を見ていきます。。

 

ピアノ騒音事件の概要(犯人と被害者)

 

ピアノ騒音〇人事件といわれている。

Twitterでこちらのお写真とコメントが出てきた。すこし怖そうな事件だ。

 

起こった日時‥‥昭和49年(1974年)の夏8月28日の朝(蒸し暑さを感じる気候)

事件の起こった場所‥‥神奈川県平塚市の県営住宅・神奈川県平塚市田村(現在の平塚市横内)の県営住宅「県営横内団地34棟4階(406号室)

当日の朝(加害者O.M)

加害者の標的となってしまったのが加害者の階下の住民である母親、長女、次女だった。父親は仕事先へ向かったタイミングだったそうだ。朝9時20分頃の悪夢のはじまりだった。母親と次女はゴミを出しに下へ降りていた。加害者は刺身包丁を手に取って306号室へ乗り込んだ。

(後ほど詳しく書くが)もともと神経過敏で様々な不運だったO.Mをそのような犯行に及ばせた原因となるものが306から聞こえる日常的な騒音だった。日曜大工の音、ピアノの音がわずらわしくて男は被害妄想もあったようで306号室の母親に対してはとくに(自分に挨拶はしないが近所付き合いがあった)恨みがあったといわれている。

1974年この日8月28日は蒸し暑さにくわえ学校も夏休みだった。いつもより2時間ほど早くから306からピアノが鳴り響いていた。加害者のなかで何かが切れた。

犯人の本名は大浜松三(おおはままつぞう)といい、その当時46歳。

 

横内団地(写真)

 

出典:dailyportalz.jp

上は2008年の頃の横内団地

 

出典:hirahaku.jp

 

今現在の横内団地をスクショ写メ掲載できないので先程のTwitter写真を拝借する。

 

 

大浜松三を犯行に至らせた要素

 

刃物に関する事件は鳥肌が立つ。わたしは想像が豊かに働きすぎるので事件概要を調べるだけで現場での空気、臭い、目に映るものが鮮明に出てくる‥大浜松三という男は当時46歳大の大人だが精神を病んでいた。人生も精いっぱい生きていたかもしれないがうまく動いていなかった。パートナーが家を出ていった矢先にあの8月28日のような朝がやってきた。様々な不運が重なって起きた事件だとひとくくりに語ってはいけないと思うが、。この大浜松三という男、そして事件が起きる数か月前に306号室に引っ越してきた被害者のご家族にとって様々な不運が重なってしまった事も事実である。

大浜松三という男の生い立ちと性質について書いていくと、生まれは東京の亀戸。両親は書店を営んでいた。そして大浜松三は小学校時代の成績は優秀だった。しかし中学から変わっていく。中学を卒業してすぐに働く。最初の職業は工場だった。1941年に国鉄国立駅の職員となるが手癖の悪さにより逮捕される、どうやらその時期から人生がうまくいかなくなっている。仕事を転々と変えてホームレスのなった時期もある。

1959年に農家の婿養子になるがそれも離婚という終止符をむかえた。原因は妻が前夫と会っていたことに我慢ならなかった。1963年八王子に住んでいる、ここで大浜松三の精神を刺激する(さらに過敏に)出来事があった。隣人ステレオの音がうるさいと苦情を言って来て大喧嘩。騒音に異常反応するようになる。

大浜は騒音に心をとらわれるタイプの人間になっていく。入浴の音や趣味であるステレオの音も気になりヘッドホンなしでは音楽も聴かなくなり次第に趣味から遠ざかっていった。そして恐ろしい行動に出る、近所の犬が頻繁に吠えるという理由で何匹が殺した。警察に通報されている。

県営横内団地へ住み移ったのが1970年4月。大浜松三と妻が406号室、すこししてから階下である306号室に親子4人家族は越してきた。のちの被害者である。この親子4人の日常音によって大浜松三は怒りをつのらせる。たしかに階下のアルミサッシの開け閉めが5分間で20回も繰り返されるのは神経質の隣人には耐え難い。306号室の父親は日曜大工が趣味で工作をする音を立てている。上と下の床は12㎝の厚さ。大浜松三は階下の主に苦情を言いに行っているが聞き流されていた。

犯罪はいけない事だし、大浜松三は過去窃盗をしたり悪さをする人間ではあるものの、生活音に無頓着だった家族が階下に越してきたことは運が悪かったようにも感じる。

1973年にが階下で娘がピアノを弾くようになる。1974年大浜松三は失業と夫婦間の問題で不整脈を起こしている。片頭痛や耳なりを起こし神経科にもいく。さらには妻も家を出ていった。このようなすべてにおいての歯車が狂いそして犯行につながってしまったのか‥

 

 

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